2016年01月12日

ヴァン・クライバーンの悲劇

ヴァン・クライバーンが弾き振りした動画がある。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番だ。ソロパートを弾くだけでも困難なこの曲を指揮までしている。とにかく、凄い!
「プロコフィエフの抒情性は余り知られていなくて残念だ...」とメルジャーノフ教授はよく呟いていらしたものだが、この演奏ではまさにその抒情性をもつプロコフィエフの深遠な精神性が描かれている。
プロコフィエフはソ連の作曲家だが、チャイコフスキーやラフマニノフを否定せず、19世紀のロシアを受け継いで20世紀の音楽を創った人だったことを忘れてはなるまい。

クライバーンの演奏を特徴づけているのは、何と言ってもその語り口と、千差万別な音の色彩。音色に敏感な人はえも言われない気分になる。このような音は演奏者の内面からの音楽の体験あって初めて実現する。ある心情世界を音で表現するには、細かい音一つ一つがその心情で満たされている必要があると私は思っているが、彼の演奏する音は、たとえ16分音符であってもその一つ一つにさまざまな音色があって、そのお蔭で摩訶不思議な心情を描くことに成功している。まさにジョルジュ・スーラやクロード・モネの点描画さながらだ。

2013年2月27日、クライバーンが亡くなったとき、フランクフルト・アルゲマイネ新聞に、”彼の冷ややかなヴィルトゥオーゾで聴衆を魅了”という見出しでコラムが掲載された。1958年冷戦時代にモスクワのチャイコフスキーコンクールで優勝したアメリカ人と紹介した後で、辛辣な批判が始まった。それは実にお粗末なものだった。
彼の演奏は「華麗な外見の裏に、空っぽな箇所が多く、無分別な音色の断片、作品の精神性の欠如...」
一体、誰の演奏を批評したものなのかと目を疑う。これを書いたのは、まず法学を学び、それから音楽学を学んだドイツ人だ。しかし、こういった意見はこのドイツ人一人のものではない。世界にまたがっていたのだ。人それぞれ自分の意見を持つことは大事なことだが、我々音楽家はいつもこうした批評家に翻弄されずに生きていく勇気を持たなければならないとつくづく思う。

国民性や民族性が演奏や演奏の好みに反映されるとことは拒否できない以上、当然、音楽の解釈は違ってくる。そのとき、静かに音楽に向き合い、どこまで自分に正直でいられるか。
クライバーンは演奏活動から退いた。彼は自分であることの危険を目の当たりにしたのだろう。彼の演奏の素晴らしさは言葉で説明不可能なところにある。形式や調性は説明できるが、形式感や調性感を表すには演奏における別な要素が必要だ。彼はそういったものを響きという言い表し難いエレメントで表現することに秀でていた。こういった演奏スタイルの頂点を成すのがロシアだ。結局、彼が彼自身でいられるのはロシアにおいてだけだった。その他の国は、彼を理解できなかったのだ。非難され、不名誉に甘んじながら演奏活動を続けることは至難の業だ。何かの助けがない限り、耐えられるものではない。彼の助けは東西の厚い壁の向こうに在り、彼はソ連を制覇した西側の人間として世界を巡業しなければならなかった。彼を理解していたのは、その敵国だけだったと言うのに。
彼はエゴイストでなかったために妥協しなかった。愛する音楽を裏切ることはできなかったのだ。こうして、ヴァン・クライバーンは生きたまま伝説の人となった。

彼の心に宿った清らかな魂は、音楽から溢れ出て、愛を求めるロシア人たちを狂喜させた。欲とは無縁のモスクワでの勝利は、たとえなんと批判されようとも永遠に輝く偉業であった。

posted by 英代&フレンズ at 21:48| 日記