2015年04月18日

母の死

靖子葬儀写真.JPG
4月3日、母が亡くなりました。
ちょうどキリスト受難の金曜日で、日本から連絡が入ったのは、ドイツ時間で正午近くでした。
日本時間とは言え、母が天に召されたのは14時47分。
イエスが十字架上で「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と最後の言葉を口にされたのが15時頃と言いますから、何と凄い時間に亡くなったものだと驚きを隠せませんでした。
葬儀は復活祭二日目の月曜日。これも物凄い偶然です。
私は、幸い翌日の航空券が取れてお通夜にも葬儀にも参列できました。

母は昨年11月に肺に水が溜まって倒れ、それ以来、話すことも食事をすることもできなくなりました。私の白寿ホールでのリサイタル直前に「危篤」との連絡が入って慌てましたが、それから持ち直して桜が咲く時期まで頑張ってくれました。
2月までは毎月4〜5日、母を見舞い、手や足をさすりながら、朝に夕に一緒に過ごしたものでした。
時には、子供の頃一緒に歌っていた歌を口ずさんだり、話せなくても意識のはっきりしている母に思い出話をしたり... ドイツに留学して以来、結局ヨーロッパに留まってしまった私にせめてもの親孝行をさせて戴いた貴重な時間。それは与えられた最後の母との幸せな時間でした。
やせ細っていましたが、手をさすりながら思いました。その手こそ、私にピアノの手ほどきをしてくれた手だったのです。

2月、病室を出るときのことです。いつもなら私との別れのときはすねて私を見てもくれない母が笑みを浮かべて手を振ってくれました。「まさか...」その時良からぬ予感がしたのですが、やはりこれが最後となりました。
2月28日、演奏旅行からベルリンの自宅に戻ったとき、何故か母死亡の連絡が入っているのではないかと胸騒ぎがして留守電を聞きました。後で聞きましたが、それが、母が高熱を出した日だったそうです...

亡くなった母は、それまでの過酷な闘病生活とは打って変わって、実に幸せそうな綺麗な笑みを浮かべていました。解放されて、美しい花園の天国に昇って行けたのだと思います。
母の棺.JPG
今日4月17日は私の誕生日。母に感謝する日です。
電話で声は聴けなくなって久しいですが、今は、どこにいてもすぐ傍にいてくれる気がしています。


posted by 英代&フレンズ at 05:56| 日記

2015年03月21日

メタモルフォーゼ〜ベルニーニの彫刻

ローマのボルゲーゼ美術館で、ベルニーニの彫刻に度肝を抜かれました。何という表現力!

「アポロとダフネ」の彫刻は、キューピットから恋に落ちる金の矢を放たれたアポロが、恋を拒む鉛の矢を放たれたダフネを追いかけ、逃れられなくなったダフネが河神の父に懇願すると、月桂樹に変容するというギリシャ神話を表したもので、ダフネが月桂樹に変容する瞬間が描かれていますが、動かぬ彫刻がこんな瞬間を表現できるとは、実際目にしても信じられないほどでした。
彼女の指先は月桂樹の葉に変わり始めていますが、この葉の部分を叩くと、もうすでに石の音ではなく、クリスタルを叩いたような音が出るんだそうです。石そのものも変容を遂げているんですね。
P1010916.JPG


「プロセルピナの略奪」は女神プロセルピナが冥府の神プルートー(ギリシャ神話で言うハーデス)に連れ去られようとするところを描いたもの。ハーデスに連れ去られれば、生涯陽の目は拝めない。もがく彼女の目からこぼれる涙までが描かれています。また、ハーデスの指が彼女の肉体に食い込んでいるのがわかる彫刻。これが大理石による彫刻なのかと目を疑いたくなります。その迫力には驚愕するしかありませんでした。
P1010922.JPG

ベルニーニやミケランジェロといった彫刻家にとって大理石は単なる石という塊ではないのでしょう。
ラフマニノフやホロヴィッツといったピアニストが、ピアノという楽器から耳を疑うような音を出せたのも、同じような芸術的行為。
こういった芸術は、人間の意識が目で見える物理的なものにがんじがらめになっている間は生まれないのでしょう。
そんな思いを噛みしめたボルゲーゼ美術館でした。
posted by 英代&フレンズ at 10:11| 日記

2015年01月21日

”人間とは危険な創造物”

来週の火曜日、1月27日はアウシュヴィッツ強制収容所が解放されて70年にあたる日とあって、ドイツZDF局のトークショーに、アウシュヴィッツから生還したチェリスト、アニータ・ラスカー=ワォルフィッシュさんが出演していらっしゃいました。私の本『ロシア・ピアニズムの贈り物』の第5章に登場する方です。
1925年生まれの彼女は現在89歳。1943年にアウシュヴィッツに送られましたが、チェロが弾けるということが彼女の命を救ったのでした。アウシュヴィッツの女性オーケストラのメンバーとなったものの、いとも恐ろしい医師メンゲレにいきなり、「”トロイメライ”を弾け!」と言われたこともあると言います。もし、手が震えて上手くいかなかったら、きっとガス室が待っていたことでしょう。
戦後イギリスに住んでオーケストラの団員となった彼女は、ドイツを憎み、二度とドイツの土は踏まない!と決心し44年間その誓いを守り続けましたが、結局コンサートでドイツを訪れることとなりました。そしてそれを機に、この前代未聞の大犯罪の実態を後世に伝える時期が来たことを感じ、加害者と犠牲者の間の橋渡しをしたいと考えるようになり、手記が出版されることとなったそうです。
今夜のトークショーではテロもテーマの一つでした。その中で彼女は「**人という前に、みんな同じ人間であること」を強調しながらも、番組の最後に特別な力のこもった、しかし穏やかな声で一言、自分に言い聞かせるかのごとく言いました。
「人間とは危険な創造物です」
この言葉が、深く心に突き刺さっています。

彼女の手記は日本語にも翻訳されています。
Anita.jpg
posted by 英代&フレンズ at 09:01| 日記