2014年12月26日

シューベルトの歌曲『小人』とフランス映画『隣の女』

私の好きなシューベルトの歌曲に『小人』というバラードがあります。
話の筋を簡単に言うと、王妃と小人が連れ立って船出し、小人の手で王妃は殺され海に沈められ、小人も陸に戻ることはないというもので、いとも恐ろしい内容なのですが、この劇的なバラードは私を捕えて離さないのです。

歌詞は下記の通りです。

薄暗い光の中で山々はもはや視界から去ろうとしている。
船が滑らかな海の波間に漂っている、王妃と彼女の小人を乗せて。

王妃は空高く広がる丸天井を見上げ
銀河が青白く流れる星の瞬く夜空を眺めた。

「星たちよ、おまえたちは一度も私に嘘をついたことはなかったね」、
と王妃は叫ぶ。「”もうすぐ私は死ぬだろう”、とおまえたちは私に言ったね、
そのとおり私は喜んで死んでいく」。

そのとき小人が王妃のもとへやってきた、そして
赤い絹の紐で彼女の首を縛ろうとして、泣きだした、
あたかも、悲しみで失明するかのごとく。

小人は語った、「この苦悩の責任はあなたにあります、
あなたは王のために僕を見捨てたのですから、
今、あなたの死が、唯一、僕の幸せなのです。

たしかに、僕は僕自身を永久に恨むことでしょう、この手であなたに死を与える僕を、
しかし、あなたはやはり若くして死ななければならないのです。」

王妃は若い生命溢れる胸に手を当て、
目からは重苦しい涙が止め処もなく流れ、
彼女は祈りつつ天に昇ろうとする。

「私が死んでも苦しまないように」と王妃は言って、小人の青ざめた頬に接吻し、
まもなく彼女は意識を失った。

小人は死に捉えられた王妃を見つめると、自らの手で彼女を海の底へ沈めた。
小人の心は王妃への想いで激しく燃えていた、
小人はもはや、どの岸辺にも姿を見せることはないであろう。
                                (訳:原田英代)


小人と王妃の関係は詳しくは記されていませんから、ここで推理が始まります。

小人は、小さく、ずんぐりむっくりの醜い容姿を持ち、縮れ毛で団子鼻。彼女に仕えていた小人は、彼女への愛に燃えていたのでしょう。だから、王を結婚相手に選んだ彼女を小人は許さなかった。
ここに醜と美のコントラストが浮かび上がってきます。メルヘンにも多く登場する「美女と野獣」という設定の話です。

「小人」は1822年に作曲されたと推定されていますが、シューベルトはこの頃野心に燃えて作曲活動を展開していました。しかし、女性関係の悩みは苦々しい思いで彼に常につきまとっていたことでしょう。彼が花柳病にかかっていることを知るのは翌1823年のことですから、この頃、小さいシューベルトはこの「小人」の心理が嫌というほどわかっていたのではないでしょうか。そう思うと心苦しい限りです。

シューベルトが亡くなる一年前に書かれた即興曲作品90があります。その第1番はやはりバラード風の作品ですが、私にはこの曲と「小人」との共通点が感じられます。ここには愛と憎悪の織りなす物語が常に死の香りを伴っているように思えるのです。

愛と憎悪、このテーマは人間の歴史が始まって以来、途絶えることのないものでしょう。ところで、このテーマを描いたフランス映画には考えさせられるものが多いのは何故なのでしょう。 フランス映画はハリウッド映画のように答えのない終わり方をするものが多く、観終わった後、いつまでも頭の中を考えが渦巻くからなのか?そして、そういったフランス映画の特徴が、結論のでないこのテーマに相応しいからなのか?

フランスの映画監督のフランソワ・ロラン・トリュフォーという人が作成した『隣の女』(邦題)という映画があります。ジェラール・ドパルデュー主演のこの作品では、未消化の愛のもつれが見事に描かれており、我々に多くの疑問を投げかけますが、映画の最後の言葉はあまりにも的を射ています。
「あなたと一緒では苦しすぎる。でもあなたなしでは生きられない。」
これは「小人」の心理でもあったのかもしれません。
私は目下そういった音を即興曲で表したいと日々奮闘しています...

23歳のフィッシャー=ディースカウが『小人』を歌った素晴らしい録音があります。彼の洞察力が若いときから優れていたことを証明するものと思います。

posted by 英代&フレンズ at 18:20| シューベルト