2014年12月27日

シャリアピンの『黒い瞳』

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         (シャリアピン)

「シャリアピンはトルストイが書くように歌う」と称したのはラフマニノフでした。トルストイの描写ときたら並大抵のものではありませんから、この言葉の真相がいかなるものかよくわかります。
極貧の生活から生まれたシャリアピンという芸術家は一種の奇跡でしょう。神さまは何を思ってこのような境遇を彼に与えられたのか?何を思ってシャリアピンはこのような幼少時代を選んで生まれてきたのか?

第1交響曲の初演失敗で意気消沈していたラフマニノフは、マーモントフ劇場の指揮者に就任したことにより多くの芸術家と知り合う恩恵に与りましたが、その中にシャリアピンがいました。このような偉大なる仲間との出逢いは、彼のスランプの時期を後のための大切な実りの時間に変貌させました。

シャリアピンの歌を聴くとドラマを見ている気がしてきます。それはオペラであろうと歌曲であろうとロシア民謡であろうと、すべてにおいてそうですから、ラフマニノフが感動したのも納得できます。一方、独学で声楽家になったシャリアピンはラフマニノフから和声学などを学び、基礎知識の充填に余念がありませんでした。こうして二人の偉大なる芸術家は切磋琢磨し、史上最高の芸術を磨き上げることに成功していきました。

後年、アメリカに亡命したラフマニノフはスイスのルツェルン湖(Vierwaldstättersee)のほとりに「セナール」と名付けた別荘を持っていましたが、ある日シャリアピンが訪れてロシア民謡『黒い瞳』を歌いました。翌朝まだ夜が明けきらぬ早朝、この館のメイドが起きてくると、ラフマニノフが独り目に涙を浮かべて庭に佇んでいました。ラフマニノフは彼女に声をかけました。
「昨日のフェージャの歌を聴いたかい!」
ラフマニノフはシャリアピンの歌った『黒い瞳』への感動で眠れなかったのです。
ロシア民謡の中でも良く知られた『黒い瞳』はジプシーのメロディーを取り入れたものですから、ラフマニノフはかつての恋人を思い出したのでしょう。ラフマニノフはジプシーの居酒屋の女主人で人妻のアンナに燃える恋心を抱いていました。ジプシーの歌、それもしかも『黒い瞳』をシャリアピンに歌われたのでは堪らなかったことでしょう。
彼の歌声をお聴きください。


posted by 英代&フレンズ at 11:15| シャリアピン